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作家が教える小説作法「描写の真髄」

小説の目的は、読者に伝えることです。何を、は問いませんが、何かしらを伝えることこそが、小説の存在理由です。
伝えるつもりかないのであれば、秘密の日記を書いていればいいのですから。
この「伝える」ことのために、作家は莫大な時間を投資しているのです。ここでは、伝えることに欠かせない、描写の真髄に迫ってみましょう。

◎「伝わる」は幻想

「赤いトートバッグ」という言葉があったとします。
あなたは、この言葉からどんなものを想像しますか? 赤とは、どんな赤ですか? 濃い赤? 薄い赤? 暗い赤? 明るい赤? 単色でしょうか、柄があるのでしょうか? 大きさは? 形は?
読者が100人いたら、100通りのバッグを想像するはずです。書き手が頭に思い描いたイメージは、100%確実にそのまま伝わることはありません。
そもそも、書き手自身にとっても、頭の中にあるイメージを言葉に変換する時点で、劣化してしまっていますよね。頭の中身がそのまま文字にできたら……と多くの書き手が無理な願いを抱くのは、物事を言葉に置き換えた時点で、無数の情報が脱落していくからなのです。
言葉とは、とても伝わりにくい不完全な道具だということを理解しておきましょう。
書く人間にとって、自分が使う道具「言葉」の特性を理解することは、何よりも重要です。

◎伝わった気分にさせる「補間」

書かれている文章の半分ちかくを読み飛ばすのが、読者の常です。なのに、なぜ読者は書き手のイメージが伝わったような気分になるのでしょうか。
そこには、不足している情報を反射的に補間しようとする脳の機能が、重要な役割を果たしています。
読み飛ばした部分、理解できなかった部分を、読者は脳内で補間します。その結果として、読者は独自のイメージを構築していくわけです。
これが、時に「作品は読者が読んではじめて完成する」という言われ方をする理由です。
さて、読後の感想を聞いたときに読者が語る「記憶に残っている部分」は、読者が脳内補間したイメージである場合がほとんどです。
書き手がなにげなく書いた描写を、読者は脳内補間して、より強烈なイメージとして記憶に残すのです。

◎書かずに描く

読者の脳内補間を促すために、あえて描写を省略する技術があります。これにより、特定のシーンを読者に印象づけることができます。これを、私は「書かずに描く」と呼んでいます。
私自身まだきちんと制御しきれていませんので拙い例ですが、以下の文章をご覧ください。

「かしわーざきー、かしわーざきー」
女声のアナウンスが流れる駅に降りた海人は、周囲を見まわした。視界をさえぎるものがすくなく、日がかたむいてやや色濃さを増した青空が見える。
降りた客はわずかで、みな改札に向かう階段をのぼっていく。海人もその人の流れについていった。
改札の手前で立ち止まり、ポケットから切符を出そうとしていると、声が聞こえた。
「カイ!」
改札の向こうで長身の女が仁王立ちしている。ジーンズに包まれた長い足を広げて立つ姿は、まるでコンパスだった。
化粧っけのない顔で、顔のパーツのすべてがおおきい。母のほうが小柄で体型も丸く、しかもだいぶ年上だったが、やはり姉妹だ。顔だちはどこか似ていた。
つい、炎に包まれた母を思い出してしまった。
海人は切符探しに集中するふりをして目をそらす。
ポケットの奥に引っこんでいた切符をようやく取り出して改札を抜けると、叔母の前に立って頭を下げた。
「お世話になります、玲奈おばさん」
玲奈が海人の頭をたたく。
「人前で『おばさん』は禁止。これでも美形の未婚女子で通ってるんだから。次に言ったらその舌をひっこぬいてミミズに食わせるよ」
きっと美形という言葉には、「黙っていれば」というただし書きがつくに違いない。
相変わらずの口の悪さにあきれながら、海人はうなずいてみせた。
「はい、玲奈おばさん」
今度はげんこつが飛んできた。

拙文『かしわざき幽霊譚』の一節です。
主人公が駅を降りて叔母と会い短いやりとりをする、ただそれだけのシーンです。
しかし、ここには直接描かれていない二人の関係性が、見えてきませんか? それぞれの性格が、浮かび上がってきませんか? みなさんの脳内補完によってそれが伝わったのなら、私の「書かずに描く」は成功です。
私を小説の道に引きずり込んだ悪友の言葉を借りるなら、「暑い場面を『暑い』という言葉を使わずに表現するのが、書き手の腕の見せ所じゃないか」ということです。
いえ、もちろん腕自慢のためにやるわけではありませんよ(^_^;)
そうすることで、読者の脳内補間が発生して、より鮮烈な印象を読者に与えることができるのです。だからこそ、ここぞという場面では、「書かずに描く」にチャレンジする価値があるのです。

描写の真髄とは、書かないこと。
我々書き手は、言葉が伝わりにくい不完全な道具であるとわかっているからこそ、つい過剰に言葉を書き連ねてしまいがちです。
しかし、過剰な説明は退屈でリズムを壊し、読者の読み進める気持ちを削ぎます。
極力、書きすぎないように心がけたいものですね。
あ、もちろんこれは、自戒も込めて(^^)


2件のコメント

  1. 家出をして久しい娘とおない年ということで親しみを覚え筆を執りました。
    今回の出会いはIn a sentimental mood です。 胸をふるわせてくれる美しい楽曲に出逢うことを生涯の糧として平穏凡庸な日々をやり過ごしている初老のおばさんです。

    趣味活動はamerican great songsの発掘(私の視点でです)と シャンソンを 歌うことです。

    よろしくお願いします。  ニックネーム(これも死語?)はririko

    • 物書きを始められるそうで、どこかで作品にお目にかかれる日が来ることを心よりお祈り申し上げます。
      物書きは長丁場になりますので、あまり無理をなさらずに、日々少しずつ続けていってくださいね。
      それでは、よい創作を!

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