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作家が教える小説の書き方 あなたの作品はなぜ完成しないのか? 〜アホの境界線〜

小説を書こうなどと考える人は、だいたいにおいてアホです。アホなので衝動的に書きはじめ、衝動的に投げ出します。なので、小説を書こうと思った人の大半は作品を完成させることがなく、人目に触れることもなく消えていきます。
今回は、作品を完成させられるアホと完成させられないアホを隔てる「アホの境界線」について考察してみましょう。

◎アホの自覚

お前はアホだと言われて、いい気持ちになる人間はあまりいません。ましてや、自分からそれを認めるのは困難でしょう。
いや、中には「自分はアホだとわかっているぞ」とおっしゃる方がいるかもしれません。でも、その言葉は本当ですか? 「自分はアホだと自認できるだけの知性および度量がある」という自負が、そこには隠れていませんか?
でも、知性とか度量とか、まったく関係ないですから。
小説を書くなんて、アホのすることですよ。
小説1冊あたりの平均売上部数をご存知ですか? 出版社からの印税が何パーセントかご存知ですか? 1作品を書くのにかけている時間はどのくらいですか? それらを総合して、書き手の時間給がいくらになるか考えたことがありますか?
多くの売れない作家は、コンビニでバイトしたほうがよっぽど時給がいいのです。
本当にアホなんです。
アホだけど、やめられないんです。だって、読み手がどんなに少なくても、内なる衝動に従って書かずにはいられないんですから。それに、ひょっとしたら大当たりして、これまでの不遇な人生を一発逆転できるかもしれないじゃないですか。
……
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ね、どんどんアホ丸出しになっていくでしょう?

◎アホの知恵は百害あって一利なし

アホはアホなりに、いろいろ考えます。
その中でも、作品の完成を阻むとっておきの害毒思考がいくつかあるのです。

・作品の面白さに関する害毒思考

「だめだ、この話は面白くない」→だから書くのをやめて違う話を考えよう。
「こうすればもっと話が面白くなる」→だから最初から書き直そう。
1作品を書き上げるのにかかる時間は、とても長いものです。その間には、気持ちの浮き沈みや、好みや興味の対象に変化が起こることもあります。その揺れに向き合っていると、作品は完成しません。面白いかどうかなんて、読者が決めるものなのです。書き手はつべこべ考えずに、書き上げるべきです。
小説の製作工程には構想→執筆→推敲という3段階があります。多くの人は「執筆」を途中でやめてしまうために、面白さに関する調整の大部分は推敲の段階でもできることを知らないのです。

・文章技巧に関する害毒思考

「だめだ、このシーンをうまく描写できない」→書けなくなって作品全体を放棄してしまう。
「この文章が気にくわない」→同じ場所を何度も書き直してしまい話が前に進まない。
正直なところ、書き手の文章技巧へのこだわりは、読者の大半にはどうでもいいことです。「すげー、二人称小説でこんなにストーリーと技法がマッチしてるなんて、作者は天才じゃね?」とか、「文末の過去形と現在形の混合具合が実に絶妙!」とか、そんな感心のしかたをするのは書き手だけなのです。読者は、作者が考え抜いた至高の文章を、あっさり読み飛ばします。読者がほとんど気にしないものにこだわって書けなくなるのは、ナンセンスですよね。
それに、その文章技巧へのこだわりも、ほとんどが推敲の段階で調整可能です。ここでもやはり、書き手はつべこべ考えずに書き上げるべきなのです。

・根拠のない自信による害毒思考

「わたしは天才だ。その気になれば、なんでもできる」→だから今日は書くのやーめた。明日から本気出す。
小説を書くようなアホは、程度の差こそあれ、俗にいう厨二病患者である場合がほとんどです。
でも、今日本気を出せない人は、明日も本気を出すことはできません。永遠に来ない「明日」書かない理由を考えている時間があるなら、1ページでも、1文でも、1文字でも、書くべきです。

◎アホの境界線

もうおわかりですね。
アホの境界線は、「やる」と「やらない」の間にあります。もっとわかりやすくいえば、「アホになりきってやりきる」のか、「アホになりきれずにやめてしまう」のか、ということです。
非常に残念なことですが、私にもかつて小説を書いていたものの書くことを辞めてしまった友人たちが何人もいます。出会った当時、創作作品を生み出すということに関して、彼らは明らかに私よりも才能豊かでしたが、彼らは賢すぎてアホにはなりきれなかったようです。
どこかでふと我にかえってしまい、自分のやっていることに合理的な疑問を抱き、執筆を中断してしまったのでしょう。
だいたいにおいて、創作活動というものは広い砂浜で1粒の砂金を探すようなもので、孤独で苦しいものです。
それでも小説を書きたいという方は、どうぞ。その目の前に横たわるアホの境界線を踏み越えて、こちら側へ来てください。

さて、みなさんは、境界線を超えた本物のアホになることができそうですか?
同じアホなら書かなきゃ損、ですよw

作家が教える小説作法「描写の真髄」

小説の目的は、読者に伝えることです。何を、は問いませんが、何かしらを伝えることこそが、小説の存在理由です。
伝えるつもりかないのであれば、秘密の日記を書いていればいいのですから。
この「伝える」ことのために、作家は莫大な時間を投資しているのです。ここでは、伝えることに欠かせない、描写の真髄に迫ってみましょう。

◎「伝わる」は幻想

「赤いトートバッグ」という言葉があったとします。
あなたは、この言葉からどんなものを想像しますか? 赤とは、どんな赤ですか? 濃い赤? 薄い赤? 暗い赤? 明るい赤? 単色でしょうか、柄があるのでしょうか? 大きさは? 形は?
読者が100人いたら、100通りのバッグを想像するはずです。書き手が頭に思い描いたイメージは、100%確実にそのまま伝わることはありません。
そもそも、書き手自身にとっても、頭の中にあるイメージを言葉に変換する時点で、劣化してしまっていますよね。頭の中身がそのまま文字にできたら……と多くの書き手が無理な願いを抱くのは、物事を言葉に置き換えた時点で、無数の情報が脱落していくからなのです。
言葉とは、とても伝わりにくい不完全な道具だということを理解しておきましょう。
書く人間にとって、自分が使う道具「言葉」の特性を理解することは、何よりも重要です。

◎伝わった気分にさせる「補間」

書かれている文章の半分ちかくを読み飛ばすのが、読者の常です。なのに、なぜ読者は書き手のイメージが伝わったような気分になるのでしょうか。
そこには、不足している情報を反射的に補間しようとする脳の機能が、重要な役割を果たしています。
読み飛ばした部分、理解できなかった部分を、読者は脳内で補間します。その結果として、読者は独自のイメージを構築していくわけです。
これが、時に「作品は読者が読んではじめて完成する」という言われ方をする理由です。
さて、読後の感想を聞いたときに読者が語る「記憶に残っている部分」は、読者が脳内補間したイメージである場合がほとんどです。
書き手がなにげなく書いた描写を、読者は脳内補間して、より強烈なイメージとして記憶に残すのです。

◎書かずに描く

読者の脳内補間を促すために、あえて描写を省略する技術があります。これにより、特定のシーンを読者に印象づけることができます。これを、私は「書かずに描く」と呼んでいます。
私自身まだきちんと制御しきれていませんので拙い例ですが、以下の文章をご覧ください。

「かしわーざきー、かしわーざきー」
女声のアナウンスが流れる駅に降りた海人は、周囲を見まわした。視界をさえぎるものがすくなく、日がかたむいてやや色濃さを増した青空が見える。
降りた客はわずかで、みな改札に向かう階段をのぼっていく。海人もその人の流れについていった。
改札の手前で立ち止まり、ポケットから切符を出そうとしていると、声が聞こえた。
「カイ!」
改札の向こうで長身の女が仁王立ちしている。ジーンズに包まれた長い足を広げて立つ姿は、まるでコンパスだった。
化粧っけのない顔で、顔のパーツのすべてがおおきい。母のほうが小柄で体型も丸く、しかもだいぶ年上だったが、やはり姉妹だ。顔だちはどこか似ていた。
つい、炎に包まれた母を思い出してしまった。
海人は切符探しに集中するふりをして目をそらす。
ポケットの奥に引っこんでいた切符をようやく取り出して改札を抜けると、叔母の前に立って頭を下げた。
「お世話になります、玲奈おばさん」
玲奈が海人の頭をたたく。
「人前で『おばさん』は禁止。これでも美形の未婚女子で通ってるんだから。次に言ったらその舌をひっこぬいてミミズに食わせるよ」
きっと美形という言葉には、「黙っていれば」というただし書きがつくに違いない。
相変わらずの口の悪さにあきれながら、海人はうなずいてみせた。
「はい、玲奈おばさん」
今度はげんこつが飛んできた。

拙文『かしわざき幽霊譚』の一節です。
主人公が駅を降りて叔母と会い短いやりとりをする、ただそれだけのシーンです。
しかし、ここには直接描かれていない二人の関係性が、見えてきませんか? それぞれの性格が、浮かび上がってきませんか? みなさんの脳内補完によってそれが伝わったのなら、私の「書かずに描く」は成功です。
私を小説の道に引きずり込んだ悪友の言葉を借りるなら、「暑い場面を『暑い』という言葉を使わずに表現するのが、書き手の腕の見せ所じゃないか」ということです。
いえ、もちろん腕自慢のためにやるわけではありませんよ(^_^;)
そうすることで、読者の脳内補間が発生して、より鮮烈な印象を読者に与えることができるのです。だからこそ、ここぞという場面では、「書かずに描く」にチャレンジする価値があるのです。

描写の真髄とは、書かないこと。
我々書き手は、言葉が伝わりにくい不完全な道具であるとわかっているからこそ、つい過剰に言葉を書き連ねてしまいがちです。
しかし、過剰な説明は退屈でリズムを壊し、読者の読み進める気持ちを削ぎます。
極力、書きすぎないように心がけたいものですね。
あ、もちろんこれは、自戒も込めて(^^)

作家が教える小説の書き方講座「人称と視点」

今回は、小説講座などで必ず登場する「人称」の話です。
が、理論上・技法上の説明は、ネット上で探せばいくらでも出てきますので、そちらをご覧ください。
ここでは、そこいらの講座ではなかなか教えてくれない、もっと実際的な「書き方」について説明していきます。
 

人称の選び方

なんとなく書きやすいから一人称。場面転換がしやすいから三人称。というような感覚で作品の人称を決めている人がいたら、その人は大きな損をしているかもしれません。
物語には、それぞれに適した人称があるのです。作家が自由に人称を選べると思っているなら、大間違いです。物語によって、強制的に選ばされていることを自覚しましょう。
一人称=制約
三人称=ダイナミズム
これが特徴です。
 

・制約

人は自意識という名の檻に閉じ込められています。私たちはそこから抜け出すことが絶対にできません。
他者の意識を想像することはできますし、理解しようと努力することもできますが、本当の意味で理解できることはないのです。
そんな自意識に縛られ、自身の能力の限界を思い知らされながら苦闘する者を描く場合は、一人称しかありません。
制約のあるモヤモヤした状況の中で泣き笑いする者の姿を、没入感の高い一人称で情感たっぷりに描いてみてください。
 

・ダイナミズム

視点を切り替えることで読者を引きつける手法があります。こうした手法を使う場合は、三人称でなければなりません。

変則的な手法ですが一人称多視点を使えば、こうしたシーンを表現することは可能です。しかし、読者に伝わることを考えるならば、視点の切り替えが理解しやすい三人称のほうが適しているのです。一人称ならではの制約も同時に描きたいのであれば話は別ですが、通常は一人称多視点のような変化球を使う理由はありません。
これらのことからわかるように、いわゆるエンタメ作品は、ほとんどの場合三人称向きの物語なのです。エンタメ作品であえて一人称を選ぶには、相応の理由が必要です。
 

・視点とは何か

三人称多視点、といいますが、ここでいう「多い視点」とはどのようなものでしょうか。ここでは視点について掘り下げてみましょう。
三人称多視点を説明する際によくあるのは、ある人物の視点と別の人物の視点を切り替えながら物語を進めていく手法、みたいな内容かとおもいます。
しかし、これ以外にも視点の動きは存在しており、これはカメラを例に考えるとわかりやすくなります。
人物の頭の中にあるカメラ。人物の目と同期しているカメラ。人物を中心に映しているカメラ。人物とその周辺を俯瞰で見るカメラ。などなど。
こうして考えると、同じ人物を捉えているカメラでも、さまざなカメラ位置があることがわかります。物語の目的に合わせて、どのカメラ位置が最も効果的にイメージを伝えられるのかを考えながら、ベストを選んでいくのが書き手の仕事です。

 

視点変更の具体例

以下の例文を読んでみてください。

「佐藤は迷っていた。しかし、ここで誘惑に負けてしまっては元も子もない。佐藤はポケットの中でもてあそんでいたタバコの箱をにぎりつぶすと、近くにあったゴミ箱に放り込んだ。やっぱり、禁煙しなくては。佐藤は心の中で改めてそう誓った。」

これは、人物の頭の中にカメラがある描写です。佐藤であること、禁煙するか迷っていること、ポケットの中で箱をにぎりつぶすこと、などは外見上からは一切わからないことです。こうした内面の描写のためには、カメラは脳内にある必要があります。

しかしその反面、この人物がどのような外見をしているのかは一切わかりませんね。
これを、この人物を映す外部のカメラで描写すると、次のようになります。

「女がコンビニエンスストアの前に立っていた。女は茶色の長い髪をポニーテールに結んでいて、黒のハーフコートの裾からは形のいいふくらはぎが見えている。女はなにか思案するような様子でしばらく立っていたが、やがてポケットからつぶれたタバコの箱を出すと、店頭に備えつけのゴミ箱に投げ入れた。」

実は佐藤が女であり、コートを着るような季節であり、立っていた場所はコンビニの前、という情報が伝わります。しかし、逆に捨てたタバコの理由はまったくわかりません。
このように、三人称多視点の中でも、カメラ位置の選択によって伝わる情報と伝わらない情報があるのです。この情報のギャップを使えば、読者に効率的に情報を伝えたり、逆に気づかないうちに情報を制限して読者をミスリードしたり、といったことも可能です。
一方、すべての情報を過不足なく伝える必要がある場合には、特定の人物にフォーカスしながらも、文の途中でカメラを意図的に動かします。感覚としては、映画のカット割りに近いのかもしれません。
 
「女がコンビニエンスストアの前に立っていた。女の名前は佐藤といった。佐藤は茶色の長い髪をポニーテールに結んでいて、黒のハーフコートの裾からは形のいいふくらはぎが見えている。そのハーフコートのポケットの中で、佐藤はタバコの箱をもてあそんでいた。佐藤は迷っていた。しかし、ここで誘惑に負けてしまっては元も子もない。佐藤はタバコの箱をにぎりつぶすと、コンビニの店頭にあるゴミ箱に放り込んだ。やっぱり、禁煙しなくては。佐藤は心の中で改めてそう誓った。」

カメラワークとして、どのタイミングで脳内カメラと外部カメラに切り替わっているか、注意して読むとよくわかると思います。

どの手法を使うかは、すべて作品で何を伝えたいかに依存します。ベストな形を模索してみてください。
ちなみに、人称と視点なんてものに神経をすり減らしているのは、作家だけです。読者はとくに視点の一貫性などをあまり気にしておらず、おおらかに読んでくれます。だからこそミスリードも仕掛けられるわけですね。
なので、書き手の都合で、どんどん視点移動を試してみましょう。
もちろん、やりすぎると読者の理解が追いつかなくなりますので、ほどほどのバランスが重要ですが。こればかりは、何度も失敗しないと最適解は導き出せないと思います。
かく言う私も、まだまだ暗中模索です(^_^;)

作家が教える文章技術上達のための4つのコツ

文章がうまくなりたいですか?

方法は簡単です。まずたくさん読んでください。そして、たくさん書いてください。

続けていれば、いつの間にかうまくなっています。投資した時間に応じて、必ず成長していきますので。

以上。
というだけでは、さすがに読んでくださっている方々に申し訳ありません。もう少しちゃんとご説明しましょう。
たとえばビジネスの文章であれば、結論を先に書く、とか、必要な情報を整理して箇条書きにする、とか、まあそんなテクニックはあるわけです。
同様に、散文を書く上でもいくつかのテクニックがあり、これを意識しながら書くことで比較的かんたんに上達できるのです。

文章技術上達のためのコツその1「目的」

文字、単語、文、段落、節、章……などなど、文章を構成する要素はさまざまです。
そのすべてには、必ず目的があるのです。
私の場合、文章全体の目的として「読者を泣かせたい」というものがあります。そこで、各章の目的は「泣かせるシーンを盛り上げる」ことになります。
とある作品の冒頭の章は、次のように定義しました。

『主人公と舞台の紹介。事件を常人には理解不能な方法でスピード解決する天才だが、欠点もあることを伝える⇨欠点の補完が終盤への盛り上がりを演出する重大要素』

章の目的が決まると、おのずと節、段落といった要素の目的も決まっていきます。最終的には、単語ひとつ、文字ひとつ、句読点や改行に至るまで、きちんと目的があってその位置に配置されることになるのです。書く以上は、なぜその位置に改行を入れたのか、合理的に説明できるくらいの意識づけが必要です。
ぜひ、すべての構成要素の目的を考えながら書いてみてください。

文章技術上達のためのコツその2「修飾語」

以下のふたつの文を読み比べてみてください。

『とある暑い夏の憂鬱な午後、太郎は滝のように吹き出した汗を青いタオル地のハンカチでぬぐいながら深いため息をついた』

『夏の午後、太郎はハンカチで汗をぬぐいながらため息をついた』

おわかりのように、どちらも同じシーンを描写したものですが、後者は修飾語を完全に取り払ってあります。こうして見ると、書かれた言葉の約半分が修飾語で構成されていることがわかります。よけいな修飾語は、文のリズムを崩し、主語と述語の関係をわかりにくくします。
夏は暑いに決まっていますし、ため息をつくのは憂鬱だからでしょう。こうした無駄は、どんどん削りましょう。
逆に、文章全体の目的の中で「青いハンカチ」が重要ならば、そこは「空のような青色のハンカチ」などというように修飾語を増やして強調するのも手です。
いずれにせよ、推敲の段階で余分な修飾語、蛇足の説明文などを削ると、すっきりとしたわかりやすい文章になります。3割を削除するくらいの気持ちで推敲してみてください。

文章技術上達のためのコツその3「ストップ」

書き手が必死な思いをして書いた文章を、読者はかる〜く読み飛ばします。私の経験から割り出した推測値ですが、読むスピードが遅い人で2割、普通の人で4割、速く読む人なら6割以上を、読み飛ばしていると思われます。
こうなると、書き手として大切なのは、「ここが重要ポイントですよ〜」と読者に伝えることになります。本文の冒頭で、ビジネス文章の例として「結論が先」とか「箇条書き」といったテクニックを紹介しましたが、それは「これが重要だからちゃんと読んでね」というアピール方法なのですね。
さて、散文における「ココ読め」アピールの技術を、私は個人的に「ストップ」と呼んでいます。読者の意識を、そこに誘導して釘づけにするという意味合いです。
ストップの要諦をかんたんに説明すると、「それまでと変える」の一言に尽きます。
改行を増やす、体言止めを使う、修飾語を増やす、カタカナを並べる、逆にひらがなを連ねる、読点を変わった位置にはさむ、などなど。
方法は無数にありますので、いろいろ試してみてください。
参考まで、私がストップをおぼえた頃に書いた小品をご紹介します。物語としては稚拙なので、そこはあまり突っ込まないでくださいね(^_^;)

文章技術上達のためのコツその4「ひらく」

以下のふたつの文章を読み比べてみてください。

「私は猫が好きだ。否、好きなどと云う言葉では、斯の猫への深い愛情を言い表す事は出来ない。私の猫への愛は、恰も砂漠で遭難した者が水を求めるが如き強烈な物なのである」

「わたしはネコが好きだ。いや、好きなどという言葉では、このネコへの深い愛情をいいあらわすことはできない。わたしのネコへの愛は、あたかも砂漠で遭難したものが水をもとめるがごとき強烈なものなのである」

ここでこんな漢字を使う? とか、この漢字をひらいて書くか? とか、異論はあると思いますが、あえて両極端にふってみました。
おわかりの通り、まったく同じ文章ですが、漢字の密度を変えてあります。その効果は、読んだみなさんが一番よくわかっていることでしょう。
とくに最近は、機械が勝手に変換してくれるおかげで、漢字が過剰に使われています。そこをあえて、勇気をもってひらいてみると、なんだか違った景色が見えてきませんか?
ぱっと見たときに、漢字とひらがなのバランスが良い文章は、私ならそれだけで読んでみたくなります(^^)

以上、4つのコツでした。
これらのコツを発見し、理解し、扱えるようになるまでに、飲み込みの悪い私は10年を費やしました(^^;)
これを読んだみなさんの時間が少しでも節約できるなら、それが何よりの喜びです。

小説家になる方法

「どうしたら◯◯になれますか?」という質問を耳にすることがあります。

医師、弁護士、調理師など、特別な資格を取得しなけれは就けない職業はいろいろあります。
しかし、資格が必須条件ではない仕事に関して言えば、需要があるかどうかを別にすれば、人はどんな仕事でも就くことができるのです。
だから、小説家になる方法を尋ねられた場合の最高にシンプルな答えは、ただひと言。

「書け」

 

そもそも、◯◯家という職業は、商売というよりは生き方に近いものだと私は思っています。
それが商業的に成功するかとは別問題として、物語を妄想せずにはいられない人、それを表現したくてしょうがない人、その手段として小説を選んだ人は、すべて小説家なのです。
誰に断る必要もなく、誰にたずねる必要もありません。ただ創作衝動に忠実に、書き続ければいいのです。
というだけではあまりにも素っ気ないので、小説家に求められる資質をいくつか紹介しましょう。

小説家になる方法その1「粘着」

1日1枚書き続ければ、1年で365枚の作品を生み出せます。もとより、小説執筆は数日で答えがでるような性質のものではありません。言い訳せず毎日続けるしつこさが重要です。
生き方として書くということは、生きている間は書き続けるということなのです。

小説家になる方法その2「厚顔」

目標とするような小説家は、誰にでもいると思います。その人の作品と比べて、あなたの作品は比較するのも失礼なくらいヘタクソです。生きているのが恥ずかしくなるくらい、つまらないのです。
しかし、誰でも最初はヘタクソです。上達するには、たくさん書いて試行錯誤を重ねるしかありません。
うまくなるまでゴミのような作品を量産する、売れていようがいまいが自分は小説家だと言い切る、そんな面の皮の厚さがあなたにはありますか?

小説家になる方法その3「無恥」

残念ながら、作品は書きあげておしまいではありません。人の目に触れて、内容が読者に伝わって、ようやく完成です。
もちろん、最初は自分の意図したことがまったく伝わらないことでしょう。上達の唯一の道は、他人に見てもらって、欠点をたくさん指摘してもらい、次回作への糧にすることです。
ゴミのような作品、自信のない作品でも、人目に触れさせることができる恥知らずになりましょう。

小説家になる方法その4「ガサツ」

書く以上、それなりのこだわりを持ち、読者に対して失礼にならないよう真摯に向かい合うのは当たり前ですね。これは、どんな仕事でも同じだと思います。
問題は、あまり真面目になりすぎると、ディテールが気になって書けなくなることです。でも実際は、書き手が気にするほど読者はディテールを気にしていません。
ま、いっか。あとで直そう。今はこのまま進んじゃえ。
と割り切って書き進めるガサツさは、とても重要です。
以上です。
こうして見ると、粘着で厚顔無恥でガサツだなんて、ほんっとろくでもない生き物ですね、小説家ってやつは。
あ、もちろん、私がそういうタイプの人間だというだけで、世の中にはもっと真っ当な小説家もいると思いますよ(^^)