ホーム » その他 (ページ 2)

その他」カテゴリーアーカイブ

中野くん はじめての名刺交換

コミカルなのにビジネスマナーも覚えられるコンテンツをTP LABOさんで連載しています。
非常識で減らず口な新社会人の中野くんが奮闘するショートストーリーです。
第1回は、はじめての名刺交換でマナー違反を連発した中野くんが騒動を巻き起こします。

「中野くん はじめての名刺交換」

どうぞお楽しみください。

操翼士オリオ設定解説:格差社会と新封建制度

小説の舞台として、未来を選ぶことがあります。その際、未来の社会を夢想する場合にはさまざまなアプローチがあるわけですが、今回は格差社会が今以上に進んでいくとどうなるか? というアプローチで考えてみました。

格差がさらに広がると、富の集中がより極端になり、貧困層が増大します。貧困から抜け出すのは容易でなく、格差の固定化が進むでしょう。当然ながら、貧困層の出生率は低下して、人口はどんどん減少していきます。すると、労働力が減りすぎて、富裕層を支えきれなくなるはずです。

労働力の減少に対抗するために富裕層が編み出したシステムが、新封建制度です。

富裕層は広大な土地を所有し、それを貧困層に高額で貸します。地主の企業で仕事をすると賃貸料が割り引かれる制度があるため、貧困層は地主企業で働くことになります。結果として、貧困層は賃貸料の支払のために地主企業で死ぬまで労働奉仕する、というシステムができあがるのです。
こうして、地主が持つ広大な土地が領地、地主企業の社長が領主、貧困層が領民、とそれぞれ呼ばれる、新封建制度社会が誕生しました。

この新封建制度のシステムがさらに進化すると、どうなるでしょうか。

生活必需品、医療、娯楽、その他すべての商品やサービスの提供を、地主企業が担っていくことになります。領民は稼いだお金をすべて地主企業に吸い上げられて、手元には一銭も残りません。金銭の授受が挟まるものの、実質的には領民が一方的に労働力を領主に提供する、という形になるのです。

こうなると、領主の中には「領民は奴隷と同じで生殺与奪の権利は自分にある」という勘違いをする者が出てくることでしょう。
そんな暴君の下から逃亡する者たちと、それを連れ戻そうとする領主の手下。こんな構図が生まれます。

カクヨムで公開中の小説『操翼士オリオ』の第1章「情けは人のためならず」は、暴君のもとから脱走した借地人たちが、公明正大な領主が統治する土地を目指して逃避行をくりひろげます。彼らの行く手に立ちふさがる困難とその結末は……。

無料で読める近未来長編SF小説『操翼士オリオ』、ぜひお読みください。

アメリカは二度と偉大な国にはなれない 〜2016年大統領選挙に見えた平等主義の死

2016年11月、トランプ新大統領誕生というニュースが世界を駆け巡り、各地ではさまざまな思惑がうごめいて悲喜こもごもです。
このアメリカ人の選択は、アメリカという国が体現してきた価値観をアメリカ人自身が否定したという意味で、とても重大なものです。
アメリカの有権者の約半数は気づいていないかもしれませんが、トランプ氏が選挙中に連呼していたキャッチフレーズ「アメリカを再び偉大な国にする」という言葉は、彼が選ばれたことによって完全に不可能になってしまいました。

◎アメリカが体現する価値観

アメリカの独立宣言には、次のように書かれています。

すべての人間は平等につくられていて、生存、自由、幸福の追求という奪うことのできない権利を造物主により与えられている。

ここにある「平等」と「自由」こそが、アメリカという国の根幹をなす価値観でした。
この価値観が全人類に対しても平等に広がるべきである、という思想こそが、アメリカを国際社会での主導的な立場に押し上げ、偉大と呼ばれる国にしていたのです。
むろん、この思想には副作用もありました。その押し付けがましさから、アメリカは一部の国や人から蛇蝎のごとく嫌われ、攻撃の対象になってきました。
しかしながら、全人類が平等に自由であるべきだという偉大な理想が間違いであるとは、私には思えないのです。相手の自由をふみにじってまでこの思想を押し付けた手法こそが、問題視されるべきでしょう。

◎アメリカ人が選んだもの

ある意味では、2016年のアメリカ大統領選挙において争われたのは、「既存の政治=平等と自由という思想の強引な輸出」と「新たな政治=自国民のみを対象とした平等と自由」という価値観だったように思います。
そして、有権者は、平等と自由を自国民のみに適用することを選んだのです。これは、社会の格差が広がったこともあり、「よその国のことまで考えていられない」と感じる人が増えたことの証拠なのでしょう。
そう考えると、トランプ氏の当選はごく自然なできごとです。
しかし、その選択に付随する副作用は甚大なものです。
自国のことを中心に考えるようになったアメリカは、国際社会において主導的な立場に立つことはなくなるでしょう。内向きになったアメリカは、多様な価値観や才能を受け入れて多くの革新を起こしてきたアドバンテージを失うことでしょう。
しかし、それが、民主主義のルールに基づいてアメリカ国民が選んだ結果なのですから、仕方ありません。

◎これから起きること

背景にある思想の問題は別にして、2016年のアメリカと同じようなことは日本でも起こりました。2009年の自民党政権から民主党政権への交代です。既存政治への不満が爆発して新しい風を求めた日本国民の決断が、その後どうなったのかは皆さんご存知の通りです。
トランプ氏は、その選挙中の過激な言葉ほどには、物事を変えることはできないはずです。数年後、彼に投票した有権者たちは首を傾げ始めるでしょう。「下品な発言には目をつむって変化を求めて選んだ大統領なのに、なんだかあまり変わらないな……」と。それ以前に、人気取りのために憎悪をあおったトランプ氏の手法は、一部の人々に永遠に受け入れられないことでしょう。その根強い反発と戦う4年間に、トランプ氏はどこまでのことができるのでしょうか。
その手腕次第では、2020年の大統領選挙の段階で「変えなければ良かった」という反動が起こりかねません。
しかし、その段階ではもう旧来の「平等と自由という思想の強引な輸出」という思想には戻せません。国際社会も、そうコロコロと方針転換する国を認めるはずがありませんので。2020年までの4年間に失われるであろうものよりも、今回の選挙結果によって失われたもののほうが大きいのです。

◎求められる新たな思想

国境を超えた平等主義が、それを主導してきた国自身によって否定された今、国際社会で求められる新たな思想はなんでしょうか?
私自身も明確な答えを持っているわけではありませんが、それは「和」ではないかと思っています。
「和」すなわち「寛容」や「許容」と呼ばれるものです。もしくは「共感」や「尊重」なのかもしれません。
他者の立場に共感して尊重できない者すらも、寛容に許容する。
それが、来るべき時代の中心的な思想になっていけば、少しは暮らしやすい世界になるのではないか。私はそんな夢想をしています。
そして、もしも作家としての私にそのような力量とチャンスがあるのであれば、「和」によっておだやかに融和した未来の世界を描いてみたいと思います。

そのためにも、まずはもう少し腕を磨かねば(笑)