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アメリカは二度と偉大な国にはなれない 〜2016年大統領選挙に見えた平等主義の死
2016年11月、トランプ新大統領誕生というニュースが世界を駆け巡り、各地ではさまざまな思惑がうごめいて悲喜こもごもです。
このアメリカ人の選択は、アメリカという国が体現してきた価値観をアメリカ人自身が否定したという意味で、とても重大なものです。
アメリカの有権者の約半数は気づいていないかもしれませんが、トランプ氏が選挙中に連呼していたキャッチフレーズ「アメリカを再び偉大な国にする」という言葉は、彼が選ばれたことによって完全に不可能になってしまいました。
◎アメリカが体現する価値観
アメリカの独立宣言には、次のように書かれています。
すべての人間は平等につくられていて、生存、自由、幸福の追求という奪うことのできない権利を造物主により与えられている。
ここにある「平等」と「自由」こそが、アメリカという国の根幹をなす価値観でした。
この価値観が全人類に対しても平等に広がるべきである、という思想こそが、アメリカを国際社会での主導的な立場に押し上げ、偉大と呼ばれる国にしていたのです。
むろん、この思想には副作用もありました。その押し付けがましさから、アメリカは一部の国や人から蛇蝎のごとく嫌われ、攻撃の対象になってきました。
しかしながら、全人類が平等に自由であるべきだという偉大な理想が間違いであるとは、私には思えないのです。相手の自由をふみにじってまでこの思想を押し付けた手法こそが、問題視されるべきでしょう。
◎アメリカ人が選んだもの
ある意味では、2016年のアメリカ大統領選挙において争われたのは、「既存の政治=平等と自由という思想の強引な輸出」と「新たな政治=自国民のみを対象とした平等と自由」という価値観だったように思います。
そして、有権者は、平等と自由を自国民のみに適用することを選んだのです。これは、社会の格差が広がったこともあり、「よその国のことまで考えていられない」と感じる人が増えたことの証拠なのでしょう。
そう考えると、トランプ氏の当選はごく自然なできごとです。
しかし、その選択に付随する副作用は甚大なものです。
自国のことを中心に考えるようになったアメリカは、国際社会において主導的な立場に立つことはなくなるでしょう。内向きになったアメリカは、多様な価値観や才能を受け入れて多くの革新を起こしてきたアドバンテージを失うことでしょう。
しかし、それが、民主主義のルールに基づいてアメリカ国民が選んだ結果なのですから、仕方ありません。
◎これから起きること
背景にある思想の問題は別にして、2016年のアメリカと同じようなことは日本でも起こりました。2009年の自民党政権から民主党政権への交代です。既存政治への不満が爆発して新しい風を求めた日本国民の決断が、その後どうなったのかは皆さんご存知の通りです。
トランプ氏は、その選挙中の過激な言葉ほどには、物事を変えることはできないはずです。数年後、彼に投票した有権者たちは首を傾げ始めるでしょう。「下品な発言には目をつむって変化を求めて選んだ大統領なのに、なんだかあまり変わらないな……」と。それ以前に、人気取りのために憎悪をあおったトランプ氏の手法は、一部の人々に永遠に受け入れられないことでしょう。その根強い反発と戦う4年間に、トランプ氏はどこまでのことができるのでしょうか。
その手腕次第では、2020年の大統領選挙の段階で「変えなければ良かった」という反動が起こりかねません。
しかし、その段階ではもう旧来の「平等と自由という思想の強引な輸出」という思想には戻せません。国際社会も、そうコロコロと方針転換する国を認めるはずがありませんので。2020年までの4年間に失われるであろうものよりも、今回の選挙結果によって失われたもののほうが大きいのです。
◎求められる新たな思想
国境を超えた平等主義が、それを主導してきた国自身によって否定された今、国際社会で求められる新たな思想はなんでしょうか?
私自身も明確な答えを持っているわけではありませんが、それは「和」ではないかと思っています。
「和」すなわち「寛容」や「許容」と呼ばれるものです。もしくは「共感」や「尊重」なのかもしれません。
他者の立場に共感して尊重できない者すらも、寛容に許容する。
それが、来るべき時代の中心的な思想になっていけば、少しは暮らしやすい世界になるのではないか。私はそんな夢想をしています。
そして、もしも作家としての私にそのような力量とチャンスがあるのであれば、「和」によっておだやかに融和した未来の世界を描いてみたいと思います。
そのためにも、まずはもう少し腕を磨かねば(笑)
人は必ず死ぬものだけど簡単には割り切れないよTears In Heaven
中学時代に、私はいじめにあっていました。死にたいと思うほど追い詰められていましたが、いじめを主導していた連中は私をそこまで追い詰めていたとは夢にも思っていなかったでしょう。
優位性を確認するためにマウンティングをしていただけの彼らを、今さら非難するつもりはありません。ですが、私の心に一生消えない深い傷を残した彼らを許すことはできません。その先の人生がこれほどつらいものであるなら、あの日、あの公園の、あの桜の木で、私は首を吊って死んでいたほうが良かったのではないかと思うことも少なくありません。もしも、彼らを名指しして非難する遺書を残して自殺をしていたら、私自身はこの苦しみから解放されて、彼らには一生消えない心の傷をつけてやれたのではないか……そんなことを考えてしまうのです。
私は心が狭く、さもしい人間です。
よく、生きていれば必ずいいことがあるから、生きているだけでラッキーなんだから、という励ましの言葉を聞きます。しかし、それは死のうかと思うほど苦しんでいる人間に対して、無責任で無礼な言葉だと私は思います。たぶん、そういうことを言う人は、苦しんでいる人の懊悩や絶望を理解しようとする姿勢に欠けているのではないでしょうか。
生きていてもいいことなど起こりそうにないと思えるから、悩むのです。未来の明るい可能性を信じられないから、苦しいのです。
そういう人と向かい合った時に、同じ苦しみの経験者として私にできることは、相手の吐き出したものを全身で受け止めてあげることだけです。もしひとつだけ助言をするとしたら、「あなたはたしかにろくでなしだが自分で思っているほどひどくはないと思う」とうことでしょうか。えてして、悩める人は自分の欠点に過敏になるものですから。
さて『Tears In Heaven』です。
これは、親しい者を死によって失った『残された者』の歌です。
誰もがいつかは死にます。残された者は、失ってはじめてその人の存在の大きさを痛感するのです。
と同時に、その人が生きている間にもっと何かしてあげられなかったのかと、後悔と痛恨の念に駆られます。
少なくとも両親に対してそのような思いをさせずに済んだことが、私にはわずかな救いです。
小説『ハッカー探偵と魔剣テュルフング』では、この曲がエピローグに登場します。
苛烈な戦いの末にたどりついた結末。得られたものと喪ったもの。こうしたすべてを抱えて、主人公たちは新たな一歩を踏み出します。
ノンストップのハッカー・エンタテインメント小説、ぜひお楽しみください。
かねがね金がねえんだよI Can’t Give You Anything But Love
昔の言葉で「色男、金と力はなかりけり」なんてものがあります。この言葉の由来は江戸時代らしいのですが、もはや現代にはあてはまりませんね。
親の経済格差が子供に受け継がれる時代です。金持ち男は美女をつかまえて結婚。生まれる子供の遺伝子の半分は美人の遺伝子ですから、きれいな子供が生まれる可能性も高い。これを何世代か繰り返せば、血統書つきの色男の完成です。お金のかかるジムに通って体をビルドアップすれば、金も力もある色男に仕上がります。
一方、貧しい人間は安価で高カロリーな食事をするしかありません。したがって、貧困層ほど肥満が増えるという、なんとも奇妙な状況が生まれています。
そんな現代にあてはめて言い換えると、「醜男は、金も力もなかりけり」といったところでしょうか。
私に完全にあてはまりますw
話は変わりますが、ギリシア神話に出てくる「パンドラの箱」の話をご存知でしょうか。
ありとあらゆる災厄が封じ込まれた箱を、パンドラが開けてしまいます。それにより、この世界にはさまざまな災厄があふれだして広がってしまった、という話です。この箱の中に最後に残っていたのが「希望」です。
この話、私は歴史の勉強をするまで「世界は災厄に満ちているが幸福になれる希望はある」という意味に受け取っていました。しかし、そもそも「災厄が封じ込まれた箱」の中に、なぜ希望が入っていたのでしょうか。
諸説あるのですが、「希望こそが最後の災厄」であると考えることもできるわけです。根拠のない希望は、ときに努力をしない理由に使われます。たとえて言うならば、胴元が儲かることはわかりきっているのに、宝くじや競馬、パチンコといったギャンブルにはまるようなものです。「今回は当たりそうな気がする」という根拠のない希望を抱き、もっと有意義なことに投資すべき資金や時間を費消してしまうわけです。
いや、別に、ギャンブルを否定する気はありませんよ。古代から続くもっとも古い商売のひとつですから、人間の本性に強く結びついたものなのでしょう。なくせるはずがありません。
さてさて。
この世界には、希望があります。それが幸か不幸かはみなさんの判断におまかせしますが。
金も力もない醜男でも、希望があるから生きていられるのです。私の場合、それは、いつか金でも力でも美醜でもない価値基準で評価されるはず、という希望です。
お金はないけれど愛だけはいっぱいあるよ、と歌う「I Can’t Give You Anything But Love」は、まさにそんな私の希望にぴったりの曲です。
トニー・ベネット&レディー・ガガのバージョンでお届けしました。
この曲は、小説「ハッカー探偵と魔剣テュルフング」の第7章で登場します。危機に次ぐ危機の中で主人公たちが見いだした希望は、果たして災厄としての希望でしょうか、それとも?
怒涛のクライマックス、本編でぜひお確かめください。
とある社内SEの物語 敵は社内にあり!?
脆弱性の発見、標的型攻撃、ランサムウェア、不正送金、BEC詐欺と、ITセキュリティに関するニュースは毎日のように目にします。しかし、対策をしようにも、その出費を上長に納得してもらうことができない……そんな社内SEの経験談をもとに、上長の説得にはなにが必要になるのかを考えてみました。
◎標的型攻撃への対策が急務
総従業員約250名の企業で社内SEを務める内藤さん(仮名)は、年金機構の情報漏洩事件を教訓として「怪しいメールは開かないように」との社内告知を繰り返してきましたが、その効果には疑問を感じていました。
そこで、実行すると日時とPC名およびユーザー名を記録する簡単なスクリプトを自ら書き、これをメールに添付して従業員に送る「IT防災訓練」を企画しました。
この企画には上長も取締役も乗り気で、すぐに実施することとなりました。送信するメールは、IPAが公表している「標的型攻撃メールの例と見分け方」を参考に作成。防災訓練のメールは、そのために取得した無料メールアドレスから全従業員あてに配信されました。
その結果は、驚くべきものでした。全従業員のほぼ半数が添付ファイルを実行したのです。
ウイルス対策ソフトは導入済みでしたが、それでは検知できないマルウェアが実際の標的型攻撃メールに添付されてくる可能性もあります。
ひょっとしたら、すでに何らかのマルウェアに侵入されていることもあるのではないか?
そう考えた内藤さんは、すぐに対策案を考えました。
◎IPS導入の壁
どれほど啓蒙活動をしても、標的型攻撃メールにひっかかってしまう従業員は存在します。だとすれば、マルウェアの通信を遮断するIPS(侵入防止システム)を社内ネットワークに設置するしかありません。
これが内藤さんの結論でした。
幸いにも社内ネットワークにはファイアウォールが設置済みで、ライセンスさえ購入すればファイアウォールにIPSの機能を追加できます。新しくアプライアンスを購入するよりは安く済むので、出費にうるさい上長も説得できるはず……と内藤さんは考えたのです。
しかし、年間約350,000円のIPS導入を上長に提案した内藤さんは、思いがけない上司の言葉に直面することになりました。
「技術的な細かいことを言われてもよくわからない。そのIPSとかいうものを入れると100%安全になるのか?」
「いいえ、100%ではありません。でも、安全性は確実に高まります」
「今の安全性がどのくらいで、入れるとどのくらいまで高まるんだ?」
「今は対策を何もしていないので、無防備です。IPSを導入することで、まあ大丈夫、というくらいには安全になります」
「月々30,000円とは言え、そんな曖昧なことには使えない。却下だ」
内藤さんは上司という壁に直面したのででした。
◎技術にくわしくない上長の説得に必要なもの
内藤さんは悩んでいました。
従業員の約半数が添付ファイルを開いてしまう現状でセキュリティを守るには、IPSの導入は不可欠だという思いに変わりはありません。なんとかして上長を説得しなければならないのです。
悩む中で気がついたのは、上長のイメージの問題でした。本人も認めている通り、もともと上長は技術にくわしくありません。
対策にどのような意味があるのか、イメージができていないのではないか?
そう考えた内藤さんは、話をインフルエンザの予防接種にたとえて、上長の説得に再度チャレンジすることにしました。
インフルエンザの予防接種を受けても、100%感染しなくなるわけではありません。しかし、感染の可能性は減らせます。今回のIPS導入の役割は、インフルエンザの予防接種と同じなのです。
会社のネットワークが人体。標的型攻撃により社内に侵入するマルウェアが、インフルエンザウイルス。マルウェアの活動を妨害して無力化するIPSが、予防接種のワクチンの役割となります。
このたとえ話は、効果がありました。
上長はIPS導入に理解をしめすようになったのです。
◎さらなる壁
これでIPS導入に向けて前進できる、と内藤さんがホッとしたのも束の間、上長が言いました。
「インフルエンザのたとえ話はわかりやすくていいな。でも、そうなると、予防接種以外の対策はどうなっている? 予防には手洗いやうがい、感染してしまったら病院で薬をもらったり、感染を広げないために自宅待機したり、いろいろあるだろう」
ここで、内藤さんは自分の重大なミスに気づきました。
防災訓練の結果とIPSの導入ばかりを考えていて、全体像を見ていなかったのです。
内藤さんは、あらためて全体像から見直しました。
マスクの着用や手洗いのように人の行動が予防に役立つ部分は、社員教育をすることでカバーします。感染後の病院や薬、自宅待機などに該当する部分は、インシデント対策マニュアルを整備して体制を整えておくことで対応します。
標的型攻撃に対して、教育、IPS、対策マニュアル、という3本柱で備える——そんな全体プランを提示して、ようやく内藤さんは上長の説得にようやく成功したのです。
◎内藤さんに欠けていた2つの視点
この話には、大きなヒントが隠れています。
内藤さんが上長の説得に苦労した理由は、2つの視点が欠けていたからです。
1つめは、イメージの共有。問題意識や危機感といったあいまいなものを、内藤さんはきちんと相手に伝えて共有する努力をおこたっていました。IT用語やセキュリティ用語を並べても、うまく伝わらない相手は必ずいます。より身近な例を出して説明することは、イメージの共有にとても役立つことでしょう。
2つめは、全体像の把握です。現場の担当者は、目の前の事象ばかりに注目して、全体像の把握を忘れてしまいがちです。いわゆる「木を見て森を見ない」という状態では、正しい提案も判断もできなくなってしまいます。全体を見て判断を下す決裁権者たちを説得するには、時に「森を見る」ことも必要になるのです。
◎忘れられがちな「事後」のプランを準備する
セキュリティ対策の現場において思いのほか多いのは、予防措置を講じただけで対策が完了した気分になってしまうことです。ソリューションの導入をしただけでは不十分なことは言うまでもありませんが、利用者の教育をしても終わりではありません。100%の安全がありえない以上、インシデント発生時への備えが欠かせないのです。
インシデントへの対応は大きく「認知」「対応」「事後処理」の3ステップに分類されます。
いかに素早く攻撃があったことに気づくか、というのが「認知」です。インシデント発生から何ヶ月も、ときには何年も経過してから発覚することがありますが、そういうことを避けるためにも、インシデント発生に気づくための体制作りは必要です。
認知されたインシデントに対してどのような行動をとるか、というのが「対応」でです。対応が悪いと被害が拡大し、場合によっては社会的な制裁を受けることもありえます。対応を間違わないためにも、マニュアル化しておかなければいけません。
対応が終わった後には、再発防止策の検討という重要なミッションが待っています。これが事後処理の中心的な内容となります。同じ手口の攻撃で再度インシデントが発生してしまうと、社会的な信用は失墜してしまうでしょう。
以下に、「事後」のプランに参考になりそうな資料へのリンクを張っておきます。
これらをベースに、自社の現状に即した対策マニュアルを用意して、万全を機していただきたいと思います。
コンピュータセキュリティ インシデント対応ガイド(IPA 独立行政法人 情報処理推進機構)
人生には遊びが必要だが5分じゃ足りないだろTake Five
アイデアの源泉はどこにあるのか? そんな話を、以前仕事でお会いした漫画家の寺沢武一先生にお聞きしたことがあります。
寺沢先生は「適当なキーワードを書いた付箋紙を床にばらまき、そのキーワードたちを俯瞰していると、ある瞬間に無関係なはずの複数のキーワードがつながって、アイデアとして形になる」というようなことをおっしゃっていました。
一見すると無関係なことも、いつかアイデアを生み出す材料になりうる、ということですね。
だからこそ、人生には遊びや無駄が必要になるのでしょう。その瞬間には無駄でも、どこで意味をもってくるかわかりません。物語でいうところの「伏線」みたいなものかもしれません。
さて、「Take Five」という曲は、その特徴的な4分の5拍子でよく知られている曲かと思います。3拍子+2拍子のつくりで、ちょっとつまずくような不規則感が漂うリズムが印象的です。その不規則感からかもしだされる雰囲気に、私は心がざわつくような気分になることがあります。
私はサックスが旋律を吹く「Take Five」しか聴いたことがなかったのですが、ちゃんと歌詞もついているのですね。
気になる人とお近づきになりたくて、5分だけでいいから立ち止まって……。
そんな恋心を歌った歌詞になっています。当初は、心ざわつく5拍子のリズムにはそぐわない歌詞だと思っていたのですが、聴いているうちに次第にしっくりしてくるから不思議です。
きっと、まだ始まっていない恋が醸し出す、未来がどう転ぶかわからない感じが、不安定なリズムとマッチするのでしょう。
それにしても、この歌詞のお相手は、本当に余裕のない生き方をしているようで、心配になりますw
脇目もふらずに目的地へまっしぐらな感じです。5分だけでも……といいますが、それではきっと足りませんよね。1日か2日どかっとまとめて遊んで、無駄を補充してほしいところです。
JUJUさんが歌う「Take Five」です。
ちょっと気だるく歌う感じが、なんとも色っぽいですね。そんなふうに言われたら、私なら1週間でも1ヶ月でも一緒にいてあげたくなってしまいます。あ、そもそも私は無駄ばかりの人生を歩んできましたので、そろそろ何かしらの結果を出したいところですが(^^;)
小説「ハッカー探偵と魔剣テュルフング」では、第6章でこの曲が登場します。謎に包まれた「テュルフング」の正体を暴くために力を尽くす主人公たち。しかし、その答えを見つけたときにはすでに、危機のカウントダウンは始まっていました。
物語のクライマックスに向けて最高にざわつく瞬間には、やはりざわつく5拍子の曲が似合いますね。
人はいつでも未知のものを怖れるけど同時に期待もしちゃうんだよCaravan
私は白紙が好きです。
白紙は何を書いてもいいのです。文字でも絵でも、なんなら、何も書かずに放置したっていい。紙飛行機にして飛ばしたっていいし、紙鉄砲を作って鳴らしてもいいし、濡らして意味もなく窓ガラスに貼り付けてみてもいいのです。
そこには自由があります。だから私は白紙が好きです。
ところが、いろいろな人に話を聞くと、白紙は不安になる、という人もいることに気づきました。何をしていいのかわからなくて不安なのだそうです。
自由は喜びと同時に不安も与えるものなのかもしれません。
旅も、似たようなところがあります。
未知のものとの出会いに満ちた旅は、不安と期待がないまぜになったえもいわれぬ感情を呼び起こしますよね。「旅情」というのは、そうした相反するものが渾然一体となった不思議な感情です。
よく人生を旅に例えることがありますが、何が起きるかわからない未来に向かって進んでいくことは不安ではありますが、同時に楽しみでもあるわけです。
キャラバンという言葉を日本語にすると、隊商でしょうか。それとも幌馬車。現代だとトレーラーハウスのような移動式住宅のイメージもあります。
この『Caravan』という曲は、不規則なリズムと不協和音で不安を、非西洋的な音階で異国情緒を表現しているように私には思えます。とくにここでご紹介したボーカルグループNew York Voicesのバージョンでは、不安感を強力に押し流すスピード感があり、高揚感ももたらしてくれます。トータルとして、これこそ「旅情」なのだと言いたくなるような仕上がりではないでしょうか。
小説「ハッカー探偵と魔剣テュルフング」では、第6章にこの曲が登場します。トラブルに巻き込まれた主人公・相川博美は、デジタル・デトックス状態に置かれます。その彼の頭の中で、記憶から呼び起こされて鳴り響くのが「Caravan」なのです。
先が見えないからこその不安と期待。まさに白紙の状態にいるハッカー探偵は、これからどのような絵を描くのでしょうか。
詳細は、本編でお楽しみください。
時間だけが心の傷を癒してくれるなんて大嘘だよSweet Memories
人間には「忘れる」という能力があり、時間がたつにつれて心の傷の痛みは薄れていく……なんて話を聞くことがあります。
が、実際には忘れているわけではなく、記憶が表層に浮かび上がってこないだけと言いますよね。認知症の人の記憶も、脳内に残っているのに、引き出せなくなっているだけなのだ、と。実際、トラウマになった出来事の記憶は、時間の経過にともなってフラッシュバックして蘇ってくる頻度は減ります。しかし、ひょんなきっかけで突然記憶が蘇り、心のやわらかい部分を鋭く刺します。その痛みはかつてとおなじく鮮明で、人を苦しめます。
常々、こうした負の記憶をピンポイントで消す技術ができないものかと夢想したりするわけですが、実際には苦い記憶だけを選択的に消すことは難しいでしょう。
苦くて甘い記憶を歌った『Sweet Memories』です。歌うのは、シンガポール出身の女性歌手、オリビア・オン。やわらかくささやくような歌声は、記憶の苦さをやわらげてくれるような気がしませんか?
小説「ハッカー探偵と魔剣テュルフング」では、第5章に登場します。失意のヒロイン・田上希美香が、癒しを求めてオリビアの歌声に耳を傾けます。
ヒロインは過去のトラウマと向き合い、事件解決のために再び立ち上がることができるのでしょうか。
って、エンタメ小説ですから、ちゃんと立ち上がりますよ。立ち上がって、敵と全力で戦って、そして……まさか? えっ! そんなことが!? という驚愕の展開が待っているわけですがw
ヒロインの戦いと活躍は、ぜひ本編でお確かめください(^^)
作家目線の作品評『シン・ゴジラ』
物語を作る人間は、独自の視点で作品を鑑賞するものです。多くの場合、「すげーいいわぁ、今度自分の作品でこのエッセンスを使ってみようかな」とか「ダメだろ、これじゃあ受け取り手の共感を得られない」とか、そんなことを考えながら自分の作品の肥やしにするために虎視眈々としているわけです。
そんなわけで、作家の特殊な視点で、映画『シン・ゴジラ』を評してみたいと思います。
◎予算不足?
まず感じられたのは、ゴジラの登場シーンが少なめかな? ということです。遅々として進まない政治家たちの駆け引きや無責任さを描くシーンが長すぎるのです。風刺映画ならばありなのですが、特撮映画として売り出すにしては、やや特撮部分が薄く、バランスが悪く感じられました。
まっさきに浮かぶ理由は、予算不足でVFXにかける費用が足りなくなったことでしょうか。実際のところはどうだったのかを知るすべはありませんが、もしも意図的にこのバランスにしたのだとすると、近年のVFX偏重映画に対する挑戦とも受け取れます。
でも、特撮映画でVFX偏重に挑戦しますかね、普通(^^;)
◎主役が出木杉くん
主人公のキャラクター造形には、大いに難があります。
未来の総理大臣を目指す若き二世国会議員。理想に燃えており、決断力があり、友人や仲間に恵まれている……って、なんですか、そのキャラクターは?
完全無欠。穴がなさすぎて、ほとんどの人は感情移入できないでしょう。人々は、出木杉くんではなくのび太くんを愛するのです。
常識的なキャラクター造形をするならば、なにかしら欠点があったり、トラウマや不安定さを抱えているという設定にします。そのマイナス面が主人公の原動力となり、困難に直面した際には不屈の心を生み出し、事件解決に際してはカタルシスを増大させる、そんな役割を果たすからです。
キャラクター面では、対策チームの奇人変人たちにぜんぶ持って行かれてしまい、主人公は影が薄くてどうにもいけません。いっそ、対策チームの紅一点の女性を主人公にしたほうが、よっぽど盛り上がる話にできたはずです。
◎行き過ぎたメタファー
全編に散りばめられたメタファーは、物語のすべてが東日本大震災とその後の原発事故を象徴していることを示しています。
でも、さすがにこれは、ちょっとやりすぎでしょう。メタファーというよりも、もはや震災そのままになってしまっています。しかも、あまりにもそのまま描いたにもかかわらず、現実よりもあっさりと収束させてしまうのは、いささか作り手として無責任です。ここまでストレートに原発事故を比喩したのであれば、今も処理しきれない汚染水を抱える現実の福島第一原発の状況をふまえたオチにしなければ不誠実というものです。
映画の中はで「結論ありきで無駄な会議をして無難な発表をする」という政府高官たちの姿勢が皮肉られていました。しかし、それと同じことをメタファーという形で、作品の中で実行してしまったわけです。
これが、もうすこしマイルドな比喩に止めておけば、ここまでオチの無責任さが際立つことはなかったはずです。
◎庵野秀明氏の引き出し
アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』をご覧になったことのある皆さんなら、シン・ゴジラにおける「ヤシオリ作戦」がエヴァンゲリオンにおける「ヤシマ作戦」とそっくりであることに気づくはずです。
かつてエヴァンゲリオンを表して宮崎駿氏が「正直すぎて自分には何もない事まで表現した」というようなことを言ったそうです。庵野秀明氏という作り手は、物語をストレートに作ることが信条であるがゆえに、その引き出しはどうしても狭くなってしまうのかもしれません。シン・ゴジラの随所に見える「エヴァ臭」を良いと感じるか悪いと感じるかは鑑賞者次第ですが、庵野秀明氏の物語作家としての引き出しが驚くほど狭いことは、残念ながら明白です。
もっとも、庵野秀明氏の卓越した演出能力は、目を見張るものがあります。冒頭のゴジラの「これじゃない感」にはじまり、最後のゴジラの「大暴れ」まで、物語作家としてよりも映像作家としてのセンスの高さが際立っていました。
◎トータルの評価
映画『シン・ゴジラ』が面白いか面白くないかで言えば、間違いなく面白い映画だと言えます。起承転結もしっかりしていて、物語上の消化不良感はほとんどない形に仕上がっています。
しかし、すごく面白いかと聞かれると、微妙なところでしょう。エヴァ臭にハマる人はハマるかもしれません。庵野秀明氏の特撮やメカに対するマニアックな部分に共感できる人も、楽しめるでしょう。しかし、私のように主人公のキャラクター造形やメタファーの使い方に不満を感じる人には、もうひと息感が否めないと思います。
・滝澤の独断と偏見による採点(各項目3点満点)
キャラクター:1点
ストーリー:2点
テーマ性:2点
映像:3点
合計:8点(12点満点)
そこまで熱烈に想われたら本望ですが何か? Every Breath You Take
『Every Breath You Take』といえば、The Policeの有名な曲ですが、歌詞をよくよく見るとストーカーじみていて怖かったりします。
——君が何をしていても私はずっと君を見ているよ——
そんな歌なのですね。
熱烈な愛情は、相手が受け入れれば美談ですが、受け入れなければただの犯罪です。
まあ、「いい人だけどどうでもいい人」地獄にとらわれの身である私からすると、それほどの強い感情を向けられることには、たとえ犯罪的であっても憧れがありますが(^^;)
歌い手はSHANTI。声の良さもさることながら、ここでは彼女の歌のうまさがわかるライブバージョンをご紹介しました。
小説「ハッカー探偵と魔剣テュルフング」の第4章においては、ジャズ喫茶のマスターがオススメの美女ジャズとして主人公にこの曲を聞かせます。
主人公は歌詞の強い愛情という側面に注目しますが……。
I’ll be watching you(ずっと君を見てる)
そんな怖いセリフが繰り返し登場する歌の世界観そのままに、陰謀の核心に近づきすぎた主人公はこの時すでに見張られています。
主人公に迫る魔の手。世界を危機に陥れる魔剣の正体とは!?
この後、物語は急展開を迎えます。
多くの寝不足者を生み出した怒涛のノンストップ・ストーリーをお楽しみください(*^^*)
ハッカー探偵の故郷はいずこ? チトカラの隠れた居酒屋の名店
小説「ハッカー探偵と魔剣テュルフング」では、主人公であるハッカー探偵こと相川博美が、ついうっかり方言をもらしてしまうシーンがあります。
「だやい」
と聞いて、一発でハッカー探偵の出身地がわかってしまったあなた。あなたはハッカー探偵の故郷か、その周辺県に馴染みの深い方でしょうね(*^^*)
私の故郷は「その周辺県」のほうなので、厳密には違うのですが、それでもその地方に住む者にとっての「あるある」はいくつか盛り込みました。物語の本筋とは関係のないところですが、わかる方だけでもニヤリとしていただけると幸いです。
なお、ハッカー探偵の出身地であることに敬意を表して、作中では第三章でその土地の料理を提供する居酒屋を登場させました。「まいどはや」という名前のこのお店にも、モデルとなった実在のお店があります。「きときと」というのが実在のお店の名前で、チトカラの地元民に愛される名店です。駅のすぐ近くなのに、メインの通りから外れていて見つけにくい「まさかこんな場所にこんなお店が!?」というところも、知る人ぞ知る隠れた名店っぽくていいですよね。
和食、日本酒がお好きな方は、ぜひどうぞ。なんでしたら、私がご案内しますよw