昔の言葉で「色男、金と力はなかりけり」なんてものがあります。この言葉の由来は江戸時代らしいのですが、もはや現代にはあてはまりませんね。
親の経済格差が子供に受け継がれる時代です。金持ち男は美女をつかまえて結婚。生まれる子供の遺伝子の半分は美人の遺伝子ですから、きれいな子供が生まれる可能性も高い。これを何世代か繰り返せば、血統書つきの色男の完成です。お金のかかるジムに通って体をビルドアップすれば、金も力もある色男に仕上がります。
一方、貧しい人間は安価で高カロリーな食事をするしかありません。したがって、貧困層ほど肥満が増えるという、なんとも奇妙な状況が生まれています。
そんな現代にあてはめて言い換えると、「醜男は、金も力もなかりけり」といったところでしょうか。
私に完全にあてはまりますw
話は変わりますが、ギリシア神話に出てくる「パンドラの箱」の話をご存知でしょうか。
ありとあらゆる災厄が封じ込まれた箱を、パンドラが開けてしまいます。それにより、この世界にはさまざまな災厄があふれだして広がってしまった、という話です。この箱の中に最後に残っていたのが「希望」です。
この話、私は歴史の勉強をするまで「世界は災厄に満ちているが幸福になれる希望はある」という意味に受け取っていました。しかし、そもそも「災厄が封じ込まれた箱」の中に、なぜ希望が入っていたのでしょうか。
諸説あるのですが、「希望こそが最後の災厄」であると考えることもできるわけです。根拠のない希望は、ときに努力をしない理由に使われます。たとえて言うならば、胴元が儲かることはわかりきっているのに、宝くじや競馬、パチンコといったギャンブルにはまるようなものです。「今回は当たりそうな気がする」という根拠のない希望を抱き、もっと有意義なことに投資すべき資金や時間を費消してしまうわけです。
いや、別に、ギャンブルを否定する気はありませんよ。古代から続くもっとも古い商売のひとつですから、人間の本性に強く結びついたものなのでしょう。なくせるはずがありません。
さてさて。
この世界には、希望があります。それが幸か不幸かはみなさんの判断におまかせしますが。
金も力もない醜男でも、希望があるから生きていられるのです。私の場合、それは、いつか金でも力でも美醜でもない価値基準で評価されるはず、という希望です。
お金はないけれど愛だけはいっぱいあるよ、と歌う「I Can’t Give You Anything But Love」は、まさにそんな私の希望にぴったりの曲です。
トニー・ベネット&レディー・ガガのバージョンでお届けしました。
この曲は、小説「ハッカー探偵と魔剣テュルフング」の第7章で登場します。危機に次ぐ危機の中で主人公たちが見いだした希望は、果たして災厄としての希望でしょうか、それとも?
怒涛のクライマックス、本編でぜひお確かめください。